相変わらずブラック顧問が存在する
息子の部活の話。相変わらず顧問の先生方は罵声を浴びせたり、人格を否定したりしているのが散見される。さすがに手は出さなくなったが、それでも保護者が見ていて目に余るような接し方が目立つ。
保護者がビデオ撮ってるのにも関わらず
ボクは、試合だけでなく練習にも顔を出しています。そこで必ずビデオを回しています。子供たちのフォームを確認したり、練習試合でのプレーを記録するのが目的ですが、顧問の言動についても記録する必要があるからです。後で検証できるための証拠として、大事な資料になります。
手は出ないが言葉の暴力がひどい
堂々とビデオを回しているにもかかわらず、練習や練習試合、大会等で思いっきり罵詈雑言を浴びせています。大体言っている内容は
- そんなこともできないのか、使えねえな
- やる気がないなら辞めちまえ
- 何度言ったら分かるんだ
- へたくそが引っ込め
- バカヤロー
- お前のせいで負けた、どうすんだよ
等々、まぁ聞いていて気分がいいものではないです。ちなみに、顧問の先生方40代以下の若い世代が圧倒的に多い。いわゆるゆとり世代の先生方なのに、なぜここまでひどいのか?
戦時中の習慣がまだ続いている?
ボクが個人的に感じるのは、戦争の悪しき習慣がそのまま受け継がれているのではないかという点です。「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」等、精神論と根性論でやってきたところがあります。ボクらが高校生の時、まさにこの感じでしたね。顧問は生徒に向かい「貴様~」と鉄拳を振り下ろす。生徒は「自分は~」と叫び、何事にも耐えることを強要されていました。
当時、よく国語の先生に「自分は~という一人称は戦争用語だから俺の前では絶対に使うな!」と怒られたものです。体育教官は、軍隊の上官かヤクザでしかなかった時代ですね。
一人称代名詞としての「自分」 木川 行央
要旨 現代では軍隊用語あるいは階級社会的な人間集団に属する下位の者が上位の者に向かって言う場合の一人称代名詞と捉えられる 「 自分 」 は、明治期の文献では上位の者から下位の者に対して用いる場合も多く、現代のような下位から上位へという方向性は見られない。この方向性が確立していくのは日露戦争後、明治末から大正期にかけてであろう。この背景にあるのは日本陸軍の改革である可能性がある。また 「 自分 」 が上位の者が下位の者に対していう場合でも、逆の場合でも用いることができ、かつ軍隊用語や現代の用法のように下位の者から上位の者へという方向性が生まれたのは、この語の中立性によるものではないかと考えられる。
-神田外語大学大学院言語科学研究科 木川行央氏著 神田外語大学大学院紀要より要旨抜粋-
厳しい=強いという錯覚
OBはみな口を揃えて胸を張ります。昔はみな厳しかった。今は昔に比べてとてもぬるいと批判的です。自分たちの経験を否定することはなかなかできませんから、そう考えるのも無理はないですが、ボクはどんどん変えていくべきだと考えます。
他団体での最近の動向
宝塚歌劇団の指導方針変更
8/12のYahoo!ニュースでこんな記事がありました。
www.kobe-np.co.jp
伝統という名のものとに、似たようなことが続いていたんですね。
バレー界を変える方法
また、東洋経済オンラインではこんな記事がありました。
toyokeizai.net
ノーベル平和賞を共同受賞した実績を持つ国際人権NGО「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW/本部ニューヨーク)が、日本のスポーツ現場における子どもの虐待やハラスメントを調査。25歳未満のアンケート回答者381人のうち、約2割が指導者などから暴力を受けているといった実態を7月下旬に発表した。 時を同じくして、2018年に岩手の県立高校で男子バレーボール部員だった新谷翼さん(当時17)が自殺したのは、顧問の不適切な指導が一因だったと第三者委員会で認定された。 -東洋経済オンラインより抜粋-
まとめ
指導者の皆さんは休日返上で子供たちのために頑張ってくれていることには本当に感謝しかありません。しかし、行き過ぎた指導が原因でもし子供が追い込まれて自殺したら、どう責任を取るのでしょうか?
対岸の火事ではなく、自分の周りでも起こりえることを十分に認識してほしいです。試合で勝つことも大事ですが、子供たちの未来のほうがもっともっと大事なはずです。 また、保護者はもっと積極的に関わることによって環境を変えることができると信じています。